20hive #02 中澤利彦さんレポート No.2
- 2020年12月8日
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更新日:2020年12月14日
毎年、立命館大学映像学部中村研究室主催で様々なテーマに沿った企画を行う20hive。今年のテーマは「シンセカイ」。イベントでは、エンターテイメントや表現の世界に挑戦されている方々をお招きして講義していただきます。第2弾では、ダンサーとして国内外でご活躍されている中澤利彦さんをお迎えしてトークショーを開催しました。
今回は、アメリカでの生活についてレポートします。
———— アメリカでの生活の中で、言語の壁とか文化の違いとかあったりするとは思うんですけど、1番大変だったことって何ですか?
中澤利彦さん(以下、中澤さん) そうですね。言語なんてまあもちろん苦労っていうか、それは当たり前なんで、時間はかかるんですけど、自分の意図を伝えるのに。ただまあ、人間関係ですかね。日本人アメリカ人問わずに、こういざこざがあったりとか、文化の違いとか、考え方の違いとか。そういうところでやっぱり、結構みんな挑戦しに来てるわけじゃないですか、基本的に。こうニューヨークと言う場所柄、いろんな家族がいる。でも、1人で単身で来たとか。いろんなもの、ある意味捨ててきた人が、まあ多い比率ではあると思うんで。結構みんなこうガツガツしているというか、割と自分にこう一生懸命で必死の中で、やっぱりそこでねえ、自我が強い人多いと思うんですよ。だからそういうとこでの、まあ人間関係というところが1番、まあまあ大変だったところだったかなと、当時を振り返ると思います。
———— その人間関係の中で、苦労をどのようにして乗り越えていったのかというのが気になるんですけども。
中澤さん なるほど。人間関係の中でですね、まあなんでしょう。ほんと1番は気にしないと言うか、他人という事なんですけど、なんかそれがすごく感じたことがあって。その今アーティストビザっていう、卓越能力者ビザっていうビザがいるんですけど、例えば今だったら渡辺直美さんとかね、ちょっと前だったら(お笑いコンビ・ピースの)綾部さんとかこの同じビザで、アメリカと日本を行き来しながら、仕事したりしてる一応ビザがあって、まあ簡単じゃないんです、そのビザを取るのも。それなりにお金もかかったりとか、時間もかかったりとか。もちろんそれなりの認められないといけないんですよね、国に。2年ぐらいしたら僕取れたんですけど、その時に僕が働いていたダンスカンパニーのディレクター、えっと一番偉い人に、こう自分の人生を相談した時があって。結構僕もガツガツしていたというか、我関せずやってたので。で、僕はこれでいいのかなって相談した時に、えっと「トシよ。お前は”alone”と“lonely” の違いを知っているか」みたいなことを言われて。でまあ”alone”というのが1人でいる状態だと。”lonely”というのが1人でいるというのがすごく感情的なものが入っているといわれたんですよ。
———— なるほど。
中澤さん そのやっぱり僕も10年いるんですけど、1年経つとやっぱり3割ぐらい帰るかな。で、3年経てば半分は帰ります。で、7年経てばそうですね、70%、80%ぐらいはもう自分の国に帰っちゃうんじゃないでしょうか。ダンスやってる人は特に多いと思います、アーティストなんで。その中でやっぱりそう上に上がれば上がるほどピラミッドになっていって、残っていく人が少なくなっていく中で、もちろん1人になるわけじゃないですか。上に行けば行くほど。
———— そうですね。
中澤さん それがあの自分もちょっとそれでいいのかなとドギマギしたことがあったんですけども、それって当たり前のことだし。例えば勝者がいれば敗者がいる、僕たちの世界は特に。ダンスのコンペティションとかがあって、オーディション受かればもうスター、負ければそれで全て終わりっていう世界なわけじゃないですか。
———— そうですね。
中澤さん だからそこでまあ人を蹴落とすこととか、優しくありたいけどそんなこと気にしてたら自分がその椅子座れないわけですから。だからそういうところでまあなんか変な優しさが日本人もそうだけどあると思うんですよね。それが結構なんか解放できたというか。みんなそういうふうにして戦っているわけだから、そこで強さというのを自分で身に着けたのかなというふうに思っています。
———— 確かにアーティストの世界って厳しいイメージがありますね、自分の中にも。すごいそこにその中でやっぱり第一線でずっと活躍できるっていうのはやっぱ相当やっぱ苦労したと思うんですけれども。次は文化じゃなくて、ダンスで苦労したことみたいなのってありますかね。
中澤さん 僕の場合は、ダンス4年間しかしてなくて、3年間ブランクがあっての渡米だったので、正直ダンス歴ってかなり短い方の挑戦だったと思うんですよ。小学生でいえば、野球を小学1年生から5年生までやって、もう大リーグ行っちゃうみたいな感じのノリじゃないですか、年数だけでいえばね。そうだからえっと、その中でも最初からわかってたので、例えばもう身体能力だけで勝負したらまあ勝てないと、で経験年数ももちろん足りないですよね。4年間っていうやつと20年間子供からバレリーナやってた人に比べたら、もちろん体動かないってなった時に、苦労したっていうか自分が最大化できることをすごく探したという感じです。まあ体のパーツもそうだし、その見た目、日本人としてアジア人たちの見た目もそうだし、そういったところで、まあなんだろうな別に苦労してないんですけどただまあそこでは勝てないなというところで自分で見切りをつけたから、なんかそれはそれでヤバい本当はそこで勝負したい人もいるんですよ、ミュージカルとかだったら規定の身長がないと出れないとかそういったところもあるんですけど、僕は最初からそういうのもしないって決めたんで、だからまあそこに対してあまりこう固執しなかったが故に、人と違うこと、だから僕は苦手なのはみんなで踊るとか結構苦手なんですけど、ひとりで踊るだけだったらあのその辺の人よりも面白くもしかしたらできるかもしれないっていうところのまあ苦労というか工夫ですかね。最初からそういうふうに考えて結構行動してたかもしれないです。
———— 自分の能力がこうスキルを最大化をすることっていうのが重要ということですかね。
中澤さん 重要ということだと思います。
———— だからその中でやっぱり、ソロでニューヨークのアポロシアターとかアマチュアナイトで2013年5月、2014年4月に優勝されるわけなんですけど、アマチュアナイトというのはどういうイベントなんですか。
中澤さん アマチュアナイトっていうのは90年ぐらい続くアポロシアターで劇場があるんですけど。そこで、ハーレムで行われる全部のタレントの大会ですね。コンペティション、競い合いですね。で今ちょっとあの出てるかもしれないですけど、ダンスだけじゃなくても、シンガーさんとかコメディアンとかマジシャンとか、まあラップとかも何でもいいんですけど、人前でおっと言わせられる一芸を持っている人たちが、大体15組ぐらい1回で集まって、そこでお客さんが1500席ぐらいあるお客さんの前で発表していって、最終的に拍手の大きさで勝敗が決まるという大会があるんですよ。なんでもこれはすごく歴史があって毎週水曜日にやっているイベントなんですけど。それがハーレムのアポロシアターのアマチュアナイトという大会ですね日本人の方も結構出てたりとかしますし。過去に例えばマイケルジャクソンがジャクソン5のときに出たりとか、スティービーワンダーとかダイアナロスとか今結構過去のレジェンドみたいな人たちもニーヨとかね受けながら挑戦してまあ旅だったと言われるような。一応結構歴史のある大会です。
———— エンターテイナーの登竜門的な。
中澤さん あ、そうですね。はい。
———— そこで2回優勝されて、それからこうFOXテレビとかに放映されるわけなんですけど、やっぱりそのアマチュアナイト出る前と出た後ではもう全然生活が変わったんですか。
中澤さん このテレビに関しては、一応全米なんでめっちゃ全国全世界190ヵ国に翻訳されるやつなんですよ。まあ時間さげだからSNSとかでメッセージもらったりとかで、毎週やってるんでこの番組が。例えばきょうこの火曜日の週や水曜日の週放映されたら次の水曜日くらいまではこいつが出たみたいなことで、例えば街中でも声かけられたりすることもありましたが、それだけって感じですね。これから仕事が来ることももちろんゼロじゃないんですけど、でもこれで進めて何が変わったってわけじゃないんですが。まあ1つ大きなことをいうのであればビザ、あのさっきのアーティストビザでビザを取るときにこういった自分の経歴というのはすごく必要になってくるんですよ。僕の名前こういう風にTOSHIHIKO NAKAZAWAっていうふうにでて、これが世界で放映されて、だいたいアメリカの人だったらこのテレビの番組知ってる人多いんで、そのビザの審査をする時とかにもすごく有利な1つクレジットっていうんですけど自分の経歴になったのかなというふうに思います。
———— すごいですね。自分がそういうことを経験してないので、経験する人の話を聞くのがすごいおもしろいです。
今回のレポートはここまで!次回もお楽しみに!


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