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20hive #03 太田大貴さんレポート No.2

  • 2020年12月16日
  • 読了時間: 3分

毎年、立命館大学映像学部中村研究室主催で様々なテーマに沿った企画を行う20hive。今年のタイトルは「シンセカイ」です。「挑戦」をテーマにエンターテイメントや表現の世界に挑戦されている方々をお招きして講義していただきます。最終回となった第3弾では、映像ディレクターの太田大貴さんをお招きしてトークショーを開催しました。第1弾・第2弾は新型コロナウイルスの感染防止のためオンラインのみでの開催となりましたが、今回の第3弾ではオンライン/オフラインを併用し、新たな形での講演会開催となりました。



本日のレポートでは、2つ目の軸である太田さんの「社会人としてのキャリア」について、お伝えしていきます!



映像クリエイターとしてキャリアを積んでいく上で、制作会社を知ることは必要だと考え、一度制作会社に就職をしましたが、本当にブラックでした。ブラックに耐えてでもやりたいという覚悟がないとやっていけない世界だと思いました。また、大学時代は「太田大貴」という人物に対して映像制作の発注があったわけですが、制作会社で働くということは、会社に発注があってその会社の駒としてはたらく形になります。ゆえに自分の作りたい作品を作れる機会が減り、自分の作りたい作品が創れるということに対するありがたみをとても感じるようになりました。

そののち制作会社を退社し、フリーの映像クリエイターとしての活動を始めます。その頃、「映像を監督すること」から「音楽映像をブランディングすること」へと意識が変わりました。フリーで活動をする上で、「太田大貴という人がどんな映像を撮る人か」を打ち出すことは必要で、どんな作品を自分が得意とするか考え、それをアーティストに活きる形で当てはめるようにしました。自分が得意とするのは、綺麗な映像よりも皮肉が込められたような作品で、直感的に作るよりも、物語性を含めたり計算して作る方が得意でした。このころはまだバイトをしながら映像制作を行っていました。

2016年、自分の人生の転機が訪れます。感覚ピエロの「拝啓、いつかの君へ」がドラマ「ゆとりですがなにか」の主題歌に抜擢され、その映像制作を担当することになりました。感覚ピエロの名前が売れていき、「太田大貴」という名前も売れていきました。ここが自分の名前をブランディング出来た瞬間で、これをきっかけに驚くほど仕事が舞い込んできました。ライブツアーのオープニング映像やMVなど、沢山の制作機会によって成長できました。しかし、同じような作品の制作が増え、モチベーションが落ち始め停滞期が訪れます。

そこで2018年、成長の幅を求め、自分の作品の系統を転換し、アイドルの映像の制作を始めました。元々アイドル好きだったこともあり、アイドルというジャンルが意外と得意であることに気付きました。得意なことだけやるのではなく、得意なことを増やそうという考えを持ってから、自分の作風が変わり幅も広がりました。仕事の仕方も変わり、ただ受注したものを作るだけでなく、仕事を自分のもとに寄せるよう考えました。監督として腕を上げることはもちろん、監督の仕事の範疇外のタスクも自ら進んでおこなったりしました。


今回のレポートはここまでです。

次回は最終回、コロナ禍での活動の変化についてのお話をレポートしますので、お楽しみにお待ちください!

 
 
 

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20hive 立命館大学映像学部中村研究室

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